写真アップできませんが、SDカードがホテルのパソコンに入らないことと、USBコードを家に置き忘れたことによるものです。
北市場、かたじけない。美味かった。板前さん、かっこよかった。稚内、この店を予定に入れるだけで、飛ぶ価値あると思います。もし、いらっしゃる機会があれば、ご連絡いただき次第、粗品お送りさせていただきます。
台風の影響により、フライトを一日繰り上げて、稚内に飛んでまいりました。朝4時起きで羽田に向かい、若干の遅れはありましたが無事着きました。コルサコフ
(旧大泊:Корсаков)への船の乗船が、二日後なので、ホテルに荷物を置いて、
カメラとともに稚内市内を散策しました。
人口4万人の小さな街。飛行機から、アイヌたちが住処にしていたであろう原生林と、明治の入植が始まって以来からの牧草地が見えた。稚内空港では、サハリンビールのロシア人美女の写真がお出迎え。路線バスの停留所の傍らに季節外れの高山植物が植えられていた。路線バスは、宗谷海峡沿いに走り30分ほどでホテルに到着。途中、ロシア文字の入り混じる道路標識がかきま見えた。
街もロシア語の案内や店の看板があちらこちらに見受けられる。
コルサコフ(旧大泊:Корсаков)、大泊は、蟹漁船などがたくさん停泊していたことから、ロシア戦争後ポーツマス条約で、南樺太とクリル諸島が日本領に分割されて以来、敗戦までそのような名前がついていたのであろう。その水産業が今日も息づいている。今回の北市場の住所も「稚内市開運」、なんとも興味深い。
散策の途中、街の写真や利尻礼文航路、稚内コルサコフ(稚泊)航路の船などを撮りながら、街の表通りやロシア人ショップなどにロシア人も見受けられた。ロシア人が日本人と溶け込む文化は、今稚内に到着したばかりの印象ではなかなか難しそうだ。一方、稚内の人々は、いたって親切。ぼくの不用意にも、ズボンのベルトを買い求めて街を歩いたが、店の主人にもいろいろと親切にしていただいた。
終戦間際、ホルムスク(旧真岡:Холмск)の郵便局の電話交換台で、樺太から北海道へと引き揚げる日本人の電話を、迫り来る旧ソ連軍の砲撃の最中、電話をつなぎながら最後は青酸カリを飲んで自決して逝った9人の日本人の少女の犠牲を哀悼する記念碑が、この稚内市街の真上の稚内公園にある。しかし、ホテルのフロントで、歩いて山を登って30分から40分と聞き、断念した。北市場の主人にはみせる顔がない。腑に落ちないことをしてしまった。タクシーで登れれば行ってみたいのだが、ちょっとタクシーを利用するだけの金は今回の旅では持ち合わせていないのでまた別の機会とする。
夜も6時を過ぎると暗くなる。今日は、地元の人の話では暑いそうだ。23℃くらいだろうか。夜の冷え込みもない。冬支度で着たが、Tシャツ一枚でも動くと汗ばむ。明日どうするか迷うとこだが、サハリンの書類でも眼を通すことにしようと思う。今回の旅の目的は、サハリンへ渡ることだったが、フライトがこんな状況な中、稚内が到着地ということで気持ちが、機中半分以上楽だった。尚、空路は現在、ユジノサハリンスク(旧豊岡:Южно-Сахапинск)へ成田からは飛んでいない。札幌(新千歳)からサハリン航空が週3便、ソウル(仁川)からアシアナ航空に定期便がある。市街へのアクセスは、ユジノサハリンスク(ホムトヴォ:Хомутово)空港から63番バスに乗車すればよい。
市内を移動するのに便利な市街循環バスは、19番と20番。運賃は15RUB。バスといってもワゴン車。フロントガラスに大きく番号が貼付けてあるのでわかりやすい。一方バス停はいたって質素。運賃の支払いは、ユニークでなにせ狭いワゴン車の中。運転手は、荒いロシアの運転事情で必至になっているので、乗車したら最寄りの見知らぬ乗客に、金を順繰りに手渡しのリレーで運転手にわたす。釣りがあれば、また順繰りに返ってくる。循環バスは、渋滞事情にもよるが、ひとまわりして1時間くらい。街の様子を眺めたりするには安く上がる。
タクシーを利用する場合、旅行会社の説明では、ホテル、レストランなどで予約を入れて呼んだほうが安心。街でひろう場合、あらかじめ乗車する前に料金を交渉したほうがよい。車がよく洗車してあるほど、金回りがあるのだから、それを選んだほうがよい。汚かったり、車がへこんでいたり、白タクには要注意。もっとも駅や博物館、チェーホフ記念館(工事中)、などは歩こうと思えば歩けるので、荷物がなければ、ユジノサハリンスクの市内でタクシーに乗る必要はない。ただ疲れたときバスを利用できるのはありがたかった。旅行会社の話では、最近できた日本のイオンにひけをとらないショッピングモールまで、500RUBで交渉できることもあるという。帰りはショッピングセンターから市内まで無料のシャトルバスがある。
今回、諸事情の不手際により、ユジノサハリンスクの写真がアップできませんでしたが、ユジノの滞在中の追記として。
世界三大美女(フランス人、ロシア人、日本人)とも言われる、「夏だからこそ!」のロシア人女性の鑑賞は、諸兄諸氏の愉しみのひとつ。ただ寒さをしのぐには食べるしかないので、おばさんは、ちょっと・・・
食事、ユジノのレーニン大通りは、ホワイトカラーが行き来する表通りで、レストランはまったくなかった。路地を入った所に地図にはでているが、現在のユジノは、札幌の街を参考に建設されたと言われていて、碁盤の目のようになっているので、それほど道に迷う心配はない。ただ、夜出歩くときは、レーニン通りは、それほど危険を感じないので安心。レーニン通りの起点は、ユジノの駅とレーニン像で、暗くてもネオンの派手な広告のあかりではっきりわかる。ただ、3人組の警察(ポリーツイア)に出くわすとあまりいい思いはしない。ロシア正教会からは、レーニン通りの繁華街から離れる。明るいときに、よく確認しておかないとわかりづらい。で、食べ物だが、ぼくは、もっぱら駅前の24h営業のファーストフード「BUBO」で済ませた。いわゆるユジノ資本のファーストフードなのだが、カウンターにメニューはなく、カウンターの上を見上げて選ぶ。文字が読めればいろいろと注文できるが、ぼくはロシア語ができるわけでもなく、セットメニューを毎度注文した。いつも一番大きいビッグサイズで350RUBくらいだった。決して安くない。だが、出てくるバーガーとてつもなく巨大。それを平らげるともうその日は、それで十分。若い女性などにはおそらく食べきれない。セットNo1, No2, No3, No4とあるが順番にでかくなる。なおユジノでは珍しくBUBOは、WI-FI接続ができて、若い学生がノートパソコンで勉強していたり、小学生の女の子が iPad mini で遊んでいる姿まで見かけた。それと、決して安くはないのだが、ホテルのレストランで注文したパスタは550RUB。BUBOは量と安さでアピールしているが、このパスタ、やたらに、そこらへんにある日本のイタ飯屋よりはるかに美味だった。サイゼリアなんか論外!で、BUBOに戻るが、BUBOは、日本語で「コウモリ」に意味。なので24hファーストフードのネーミングにしたとも思える。で、マックのように、瞬く間に品物が出てくる訳ではなく、コウモリの絵が描かれた、丸い灰皿のような円盤が前払いのあとに渡されて、しばらく席に腰掛けて待つ。なかなか反応がないのだが、まだかな?と待ちつつ、ふとあれ?と思ったときにブザーのような音が鳴る。で、その円盤をカウンターに持っていくと、引き換えに巨大セットが手渡される。という仕組み。このまだかな?大丈夫かな?あれ?と思った後にロシア人の反応があることは、今回の自由行動つきのツアーに参加して、旅行会社からも説明を受けていて、確かにその通りだった。なので、なるべくモラルにのっとって行動をとると、ロシア人の反応もいたって良好。
ただ、もうひとつ。ぼくは、ロシア独特の黒パン、に以前はまったく興味がなかったのだが、ユジノの公園のフレンチ?・・・といってもフレンチだった!サハリンの森の中のフレンチ?・・・なんとも神秘的!先住民系のロシア人が経営していたが、そこで一回食事した。ランチコースでこれも550RUB。システムは普通で、これもいたって美味!公園で、それらしきものを発見したら是非おススメ!で、そのフレンチで黒パンが出てきたのだが、これがやみつき!フランスパンのあの固くてデカいのより、はるかに気にいった。ので、ネットで国内で唯一の黒パン専門のパン屋さんを発見!在日ロシア大使館、領事館などへの謹製で、秋田にあるのだが、全国へネット宅配注文OK! 店の名前は「サンドリオン」。一番特製の品を選んでさっそくいただきましたが、いかにも「絢爛たるロシア」という味でした。今度は、「素朴なロシア」を味わってみたい。www.sandoriyon.com なお、ユジノの飲食店にトイレはありません。
旅行時期だが、7月8月は、船が揺れたりすることは、悪天候に当たらないかぎりまずないと思う。むしろ鏡のような海の静けさを、堪能できるときもあるという話を聴いた。ただ、ユジノサハリンスクのホテルの周辺あるいは、ホテルの中のディスコ、レストランなどでは、サハリンの北の大地の娯楽の少ない、また貴重な夏でもある、郊外にダーチャ(小さな別荘。ソビエト崩壊後の混乱期、ソビエト時代の為替レートは、当時特殊な固定相場で1RUB→400JPYが大暴落して、ロシア人は、そこでジャガイモなどを耕しながら農作業をして飢えをしのいだ)がたたずむ小さな都会のユジノにかぎって、ロシア人は、日付の変わる夜中まで大ボリュームでカラオケで歌いまくったり、踊りまくったりするのが通例。なおかつ、ホテルにエアコンはなく、就寝時、窓を開けなければ暑いので、そのかれらの熱狂の音と蚊も入ってくるらしく、それを覚悟の上で。避けたければ、真夏の時期はずらしたほうがよいが、ぼくが旅行した9月下旬は、昼間は、シャツ一枚で過ごせたが、急に雨が降る可能性もあり、夜は寒くて、船の海上はもっと寒い。デッキに出なければ問題ないが、退屈。たいていの年配のかたやロシア人は、船が着くまで、船の窓から郷愁に浸っていたり、船室で仮眠をとりつづけていた。
など諸事情を勘案の上、旅行の計画を。今回、ぼくは、ユジノとコルサコフが目的で旅行したが、「ロシア」をまともに旅行するのならば、やはり、一般的にモスクワ、ペテルブルグ。来年(2014年)1月に、ぼくは、旅行の予定を立てていて、情報を仕入れているが、おそらくはるかにいわゆる「ヨーロッパ」というに相応しいのはご承知の通り。ロシア旅行計画は、くれぐれも慎重におススメします。
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