2013年9月20日金曜日

サハリン航路

出発の朝から、旅行会社では台風によるシケで
船が出るかどうかわかりませんでした。

前夜もなかなか寝つけず、朝5時半にチェックアウトして、
散歩をかねながら港へ向かう。大人の脚で15分くらい。
途中、港のはるか向こうの風力発電所が並ぶ丘の方から、
朝日を臨む。利尻礼文航路の国内線旅客ターミナルは、
たいそう立派だが、国際線は、いたって簡素。乗客数の圧倒的な違いからだ。

今回、旅行会社の案内で、サハリン航路のアクセスは、
日露双方の諸事情により、存続維持のための圧力が強いらしく、
空路と違い運賃が低めで、邦人客に限って、72時間以内のロシアからの退去を
条件に、査証なしでロシアへの入国が許可されることを
知る。時刻表を見ると、ロシア国籍の旅客の運賃はその半額だ。

早めに港に到着するが、国際線のターミナルに誰ひとりおらず、国内線のロビーで
コルサコフ航路の客が待っていた。朝7時前に国際線のシャッターが開く。
不思議にも、たちまちその小さな建物は、日本人やらロシア人で埋めつくされて、
さっきまで、ロシア人のトレードマークである不機嫌そうな顔が、
急に態度が一変して、なにやら大きな声で歓談をはじめる。
色の白いいわゆるそういう見かけの人だけではなく、複雑な歴史的経緯による
私たちと同じような多数の日系、コリアン系、先住民系またその
混血のロシア人がいた。

まもなく、乗船手続きがはじまり、難なく船に乗り込む。
前回の釜山航路と比較すると、この日本国籍のアインス宗谷号は、
全長76.7m、幅14.5m、喫水3.85m、国際総トン数2628トン
航行速力17.1ノット(約32km・h)主機関 4サイクルデイーゼル 
2000馬力 2基 旅客定員223名 車両総台数 トラックのみ18台 
乗用車のみ45台である。小ぶりの船だ。

2等船室に案内されて荷物を置き船内を回る。
とりあえずサハリン航路名物100円ビールの
写真を収める。くれぐれも船酔いにはご注意を。
程なくして、ターミナル2階の展望デッキから
見送り客とダスビダーニャと声をかけあったり、
ロシア民謡を歌う年配の方も、自身の暮らす
サハリンへ帰路もまもなくだ。

船は、2013年9月17日9時定刻通り出航した。
が、港を出てから、シケによる船の横揺れが、
コルサコフ(旧大泊:Корсаков)に到着するまで絶え間なく襲う。
この航路を昭和の時代から利用している
日系ロシア人も経験のない揺れだという話を聞いた。
ぼくも写真を撮るのが本当に大変だった。

船室で配られた弁当を食べ、船の売店へタバコを買いに行く。
店頭に並んでいたのは、フィリップモリス、ラーク、パーラメントの
3銘柄だけ。すべてカートン売りで、このシステムは、
北朝鮮の開城のファミリーマートだけではないことがわかった。
免税でなぜかどれでも2700円。ただしご注意を、偽物です。
船内で利用できる通貨は日本円のみ。ルーブルの両替は、
稚内の銀行でも可能だが、ぼくは、事前に旅行会社に依頼させていただいた。
そのときの為替レートは、JPY10,000→RUB3,100で端数切り捨て、
CASHは1,000ルーブル札だった。両替時のおつりが気になっていたが、
経済成長の著しさ故か、ホテル、レストランでは、最新のレジが普及して、
街のキオスクでも、シビアにおつりが返ってきた。

デッキに出ると、喫煙できるのだが、真冬用のダウンも着てフードを利用して
なんとか寒さをしのいだ。何せまだ9月というのに寒かった。ロシアの夏は短い。
船は、1時間ほどで、サハリンの最南端、宗谷岬から直線距離で43km、
西にクリリオン岬(旧西能登呂岬:Мыс Крильон)が見えた。
そこからはその原生林の姿の半島が果てしなく続く。

オホーツク海を東にかすめながらアニワ湾(旧亜庭湾:Залйъ Анйва)を航行して、
稚内から若干の遅れで6時間弱、2時間遅れの時差で、
航行距離159kmコルサコフ(旧大泊:Корсаков)の小さな街が現れた。
が、この直前に、ぼくのカメラは、ロシア連邦国境警備隊などの
諸事情により動作しなくなる。間もなく、コルサコフ港にアインス宗谷号は
岸壁に接岸されて、船の大きな揺れからようやく開放される。
船着場のバスに乗り換えて入国審査、税関を経て、
ユジノサハリンスク(旧豊原:Южно-Сахалинск)へ向かうバスに乗った。

明日、羽田に帰るのでそのとき、写真と、帰国時に許されたコルサコフの写真もアップします。
 

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