稚内に到着。空港でロシア人美女の写真がお出迎え。それと予約したホテル。
2013年9月21日土曜日
2013年9月20日金曜日
サハリン航路
出発の朝から、旅行会社では台風によるシケで
船が出るかどうかわかりませんでした。
前夜もなかなか寝つけず、朝5時半にチェックアウトして、
散歩をかねながら港へ向かう。大人の脚で15分くらい。
途中、港のはるか向こうの風力発電所が並ぶ丘の方から、
朝日を臨む。利尻礼文航路の国内線旅客ターミナルは、
たいそう立派だが、国際線は、いたって簡素。乗客数の圧倒的な違いからだ。
今回、旅行会社の案内で、サハリン航路のアクセスは、
日露双方の諸事情により、存続維持のための圧力が強いらしく、
空路と違い運賃が低めで、邦人客に限って、72時間以内のロシアからの退去を
条件に、査証なしでロシアへの入国が許可されることを
知る。時刻表を見ると、ロシア国籍の旅客の運賃はその半額だ。
早めに港に到着するが、国際線のターミナルに誰ひとりおらず、国内線のロビーで
コルサコフ航路の客が待っていた。朝7時前に国際線のシャッターが開く。
不思議にも、たちまちその小さな建物は、日本人やらロシア人で埋めつくされて、
さっきまで、ロシア人のトレードマークである不機嫌そうな顔が、
急に態度が一変して、なにやら大きな声で歓談をはじめる。
色の白いいわゆるそういう見かけの人だけではなく、複雑な歴史的経緯による
私たちと同じような多数の日系、コリアン系、先住民系またその
混血のロシア人がいた。
まもなく、乗船手続きがはじまり、難なく船に乗り込む。
前回の釜山航路と比較すると、この日本国籍のアインス宗谷号は、
全長76.7m、幅14.5m、喫水3.85m、国際総トン数2628トン
航行速力17.1ノット(約32km・h)主機関 4サイクルデイーゼル
2000馬力 2基 旅客定員223名 車両総台数 トラックのみ18台
乗用車のみ45台である。小ぶりの船だ。
2等船室に案内されて荷物を置き船内を回る。
とりあえずサハリン航路名物100円ビールの
写真を収める。くれぐれも船酔いにはご注意を。
程なくして、ターミナル2階の展望デッキから
見送り客とダスビダーニャと声をかけあったり、
ロシア民謡を歌う年配の方も、自身の暮らす
サハリンへ帰路もまもなくだ。
船は、2013年9月17日9時定刻通り出航した。
が、港を出てから、シケによる船の横揺れが、
コルサコフ(旧大泊:Корсаков)に到着するまで絶え間なく襲う。
この航路を昭和の時代から利用している
日系ロシア人も経験のない揺れだという話を聞いた。
ぼくも写真を撮るのが本当に大変だった。
船室で配られた弁当を食べ、船の売店へタバコを買いに行く。
店頭に並んでいたのは、フィリップモリス、ラーク、パーラメントの
3銘柄だけ。すべてカートン売りで、このシステムは、
北朝鮮の開城のファミリーマートだけではないことがわかった。
免税でなぜかどれでも2700円。ただしご注意を、偽物です。
船内で利用できる通貨は日本円のみ。ルーブルの両替は、
稚内の銀行でも可能だが、ぼくは、事前に旅行会社に依頼させていただいた。
そのときの為替レートは、JPY10,000→RUB3,100で端数切り捨て、
CASHは1,000ルーブル札だった。両替時のおつりが気になっていたが、
経済成長の著しさ故か、ホテル、レストランでは、最新のレジが普及して、
街のキオスクでも、シビアにおつりが返ってきた。
デッキに出ると、喫煙できるのだが、真冬用のダウンも着てフードを利用して
なんとか寒さをしのいだ。何せまだ9月というのに寒かった。ロシアの夏は短い。
船は、1時間ほどで、サハリンの最南端、宗谷岬から直線距離で43km、
西にクリリオン岬(旧西能登呂岬:Мыс Крильон)が見えた。
そこからはその原生林の姿の半島が果てしなく続く。
オホーツク海を東にかすめながらアニワ湾(旧亜庭湾:Залйъ Анйва)を航行して、
稚内から若干の遅れで6時間弱、2時間遅れの時差で、
航行距離159kmコルサコフ(旧大泊:Корсаков)の小さな街が現れた。
が、この直前に、ぼくのカメラは、ロシア連邦国境警備隊などの
諸事情により動作しなくなる。間もなく、コルサコフ港にアインス宗谷号は
岸壁に接岸されて、船の大きな揺れからようやく開放される。
船着場のバスに乗り換えて入国審査、税関を経て、
ユジノサハリンスク(旧豊原:Южно-Сахалинск)へ向かうバスに乗った。
明日、羽田に帰るのでそのとき、写真と、帰国時に許されたコルサコフの写真もアップします。
船が出るかどうかわかりませんでした。
前夜もなかなか寝つけず、朝5時半にチェックアウトして、
散歩をかねながら港へ向かう。大人の脚で15分くらい。
途中、港のはるか向こうの風力発電所が並ぶ丘の方から、
朝日を臨む。利尻礼文航路の国内線旅客ターミナルは、
たいそう立派だが、国際線は、いたって簡素。乗客数の圧倒的な違いからだ。
今回、旅行会社の案内で、サハリン航路のアクセスは、
日露双方の諸事情により、存続維持のための圧力が強いらしく、
空路と違い運賃が低めで、邦人客に限って、72時間以内のロシアからの退去を
条件に、査証なしでロシアへの入国が許可されることを
知る。時刻表を見ると、ロシア国籍の旅客の運賃はその半額だ。
早めに港に到着するが、国際線のターミナルに誰ひとりおらず、国内線のロビーで
コルサコフ航路の客が待っていた。朝7時前に国際線のシャッターが開く。
不思議にも、たちまちその小さな建物は、日本人やらロシア人で埋めつくされて、
さっきまで、ロシア人のトレードマークである不機嫌そうな顔が、
急に態度が一変して、なにやら大きな声で歓談をはじめる。
色の白いいわゆるそういう見かけの人だけではなく、複雑な歴史的経緯による
私たちと同じような多数の日系、コリアン系、先住民系またその
混血のロシア人がいた。
まもなく、乗船手続きがはじまり、難なく船に乗り込む。
前回の釜山航路と比較すると、この日本国籍のアインス宗谷号は、
全長76.7m、幅14.5m、喫水3.85m、国際総トン数2628トン
航行速力17.1ノット(約32km・h)主機関 4サイクルデイーゼル
2000馬力 2基 旅客定員223名 車両総台数 トラックのみ18台
乗用車のみ45台である。小ぶりの船だ。
2等船室に案内されて荷物を置き船内を回る。
とりあえずサハリン航路名物100円ビールの
写真を収める。くれぐれも船酔いにはご注意を。
程なくして、ターミナル2階の展望デッキから
見送り客とダスビダーニャと声をかけあったり、
ロシア民謡を歌う年配の方も、自身の暮らす
サハリンへ帰路もまもなくだ。
船は、2013年9月17日9時定刻通り出航した。
が、港を出てから、シケによる船の横揺れが、
コルサコフ(旧大泊:Корсаков)に到着するまで絶え間なく襲う。
この航路を昭和の時代から利用している
日系ロシア人も経験のない揺れだという話を聞いた。
ぼくも写真を撮るのが本当に大変だった。
船室で配られた弁当を食べ、船の売店へタバコを買いに行く。
店頭に並んでいたのは、フィリップモリス、ラーク、パーラメントの
3銘柄だけ。すべてカートン売りで、このシステムは、
北朝鮮の開城のファミリーマートだけではないことがわかった。
免税でなぜかどれでも2700円。ただしご注意を、偽物です。
船内で利用できる通貨は日本円のみ。ルーブルの両替は、
稚内の銀行でも可能だが、ぼくは、事前に旅行会社に依頼させていただいた。
そのときの為替レートは、JPY10,000→RUB3,100で端数切り捨て、
CASHは1,000ルーブル札だった。両替時のおつりが気になっていたが、
経済成長の著しさ故か、ホテル、レストランでは、最新のレジが普及して、
街のキオスクでも、シビアにおつりが返ってきた。
デッキに出ると、喫煙できるのだが、真冬用のダウンも着てフードを利用して
なんとか寒さをしのいだ。何せまだ9月というのに寒かった。ロシアの夏は短い。
船は、1時間ほどで、サハリンの最南端、宗谷岬から直線距離で43km、
西にクリリオン岬(旧西能登呂岬:Мыс Крильон)が見えた。
そこからはその原生林の姿の半島が果てしなく続く。
オホーツク海を東にかすめながらアニワ湾(旧亜庭湾:Залйъ Анйва)を航行して、
稚内から若干の遅れで6時間弱、2時間遅れの時差で、
航行距離159kmコルサコフ(旧大泊:Корсаков)の小さな街が現れた。
が、この直前に、ぼくのカメラは、ロシア連邦国境警備隊などの
諸事情により動作しなくなる。間もなく、コルサコフ港にアインス宗谷号は
岸壁に接岸されて、船の大きな揺れからようやく開放される。
船着場のバスに乗り換えて入国審査、税関を経て、
ユジノサハリンスク(旧豊原:Южно-Сахалинск)へ向かうバスに乗った。
明日、羽田に帰るのでそのとき、写真と、帰国時に許されたコルサコフの写真もアップします。
2013年9月16日月曜日
道北旅行
朝8時に稚内駅に隣接するバスターミナルから定期観光バスの切符がとれたので、カメラとともにつかの間の道北旅行に参加した。乗客9名。台風で今日のフライトで帰らなければならないお客さんがいて、運転手さん、ガイドさん、それにお客さんが心配している中、申し訳なかったのだがローカルな風景とバスガイドさんのユーモラスな語りとともに楽しいひとときを過ごさせていただいた。
はじめに、私が気にしていた稚内公園を稚内丘陵の急な坂道を登りながら案内してくださった。ので、真岡の少女を哀悼する記念碑と、ぼくの勉強不足でガイドさんからはじめて教わったのだが、昭和南極隊のときに活躍した樺太犬の碑を拝むことができた。次にノシャップ岬。利尻礼文がかすかに見えた。
そして、一端市内へ戻り宗谷岬に向かう。この道北は西の日本海、北の宗谷海峡、東のオホーツク海と三方の海に囲まれている。空港から路線バスに乗っているときに、途中の停留所のアナウンスで「ハマナス」という地名が連呼されたのだが、これもガイドさんからの説明で地元の人々に親しまれている花であることを知った。宗谷黒牛という食肉が有名らしくて、途中牧舎から放し飼いにされた牛さんたちがたくさん現れた。
宗谷岬の手前に平和公園という広場があり、83年の大韓航空機墜落事件のときの犠牲者の碑が建てられ海に散って逝った乗客乗員の名前が刻まれていた。その丘の真下が宗谷岬でサハリンを海のかなたに見ることができた。これからぼくが行くところである。肉眼で見えることは見えるが船で移動するとなると、やはり近くて遠い存在だ。その土産物屋の寒暖計は、気温15℃。雨の降る気配がなかったので、Tシャツ一枚で来たが、昨日とはうってかわりバスの観光ルートが海沿いで風もあり、寒かった。ユジノサハリンスク(旧豊岡:Южно-Сахалиск)はもっと寒いのだろうか。バスが市内へと戻る途中、サハリンへ着ていく服装を考えながらホテルへ帰った。このパソコンもフロントに返却する。
明朝は、いよいよコルサコフ(旧大泊:Корсаков)へ出発する。
はじめに、私が気にしていた稚内公園を稚内丘陵の急な坂道を登りながら案内してくださった。ので、真岡の少女を哀悼する記念碑と、ぼくの勉強不足でガイドさんからはじめて教わったのだが、昭和南極隊のときに活躍した樺太犬の碑を拝むことができた。次にノシャップ岬。利尻礼文がかすかに見えた。
そして、一端市内へ戻り宗谷岬に向かう。この道北は西の日本海、北の宗谷海峡、東のオホーツク海と三方の海に囲まれている。空港から路線バスに乗っているときに、途中の停留所のアナウンスで「ハマナス」という地名が連呼されたのだが、これもガイドさんからの説明で地元の人々に親しまれている花であることを知った。宗谷黒牛という食肉が有名らしくて、途中牧舎から放し飼いにされた牛さんたちがたくさん現れた。
宗谷岬の手前に平和公園という広場があり、83年の大韓航空機墜落事件のときの犠牲者の碑が建てられ海に散って逝った乗客乗員の名前が刻まれていた。その丘の真下が宗谷岬でサハリンを海のかなたに見ることができた。これからぼくが行くところである。肉眼で見えることは見えるが船で移動するとなると、やはり近くて遠い存在だ。その土産物屋の寒暖計は、気温15℃。雨の降る気配がなかったので、Tシャツ一枚で来たが、昨日とはうってかわりバスの観光ルートが海沿いで風もあり、寒かった。ユジノサハリンスク(旧豊岡:Южно-Сахалиск)はもっと寒いのだろうか。バスが市内へと戻る途中、サハリンへ着ていく服装を考えながらホテルへ帰った。このパソコンもフロントに返却する。
明朝は、いよいよコルサコフ(旧大泊:Корсаков)へ出発する。
2013年9月15日日曜日
道産子カップメン
雨が降ってきた。朝には上がるらしい。
ベッドがかわると決まって寝つきがよくない。あらかじめ仕入れておいた北海道産のインスタント塩カップメンで腹の足しにした。ここ稚内市街のコンビニは、フェリーターミナルからの交差点と駅構内の2軒。営業時間は、朝5時から深夜24時まで。米が育たない土地柄かおにぎりは置いてなかった。それ以外に歩いて数分のドラッグストアが19時まで開いている。コンビニ、ドラッグストアともにウオッカをはじめリキュールがずいぶんたくさん陳列してある。ロシア人が買い求めるのか。
駅前を過ぎて少し路地に入ると地元の商店街が軒を連ねている。なかに大きな食料品スーパーもある。どの店ともロシア文字の店の看板を出していて異国情緒を味わえる。
明後日、サハリンへ渡るが水産業のほかに今天然ガス開発ブームだ。ロシア人と日本人との融和はもちろんのこと、稚内経済もサハリンマネーで潤くことを期待しているのか、行政はサハリンとの交流を進めたい意向がネットの随所に記されいる。
海の向こう側、極東ロシアは、プーチン氏の肝いりで開発を推進したいらしい。前の2010年のAPECでもウラジオストクが会場となり、空港と街を結ぶアエロエキスプレスを開通させた。が、何せモスクワから9000km離れているので思うように開発が進まないらしい。
以前新聞で知ったが、サハリン、クリル諸島のインフラ整備の進み具合は3つのエリアに分かれるらしい。一番発展しているのが、サハリン。その次が南クリル諸島(いわゆる択捉、国後、歯舞、色丹、分割ラインを主張するロシアと、4島を日本の係争地とする北方領土)、そして北クリル諸島、この3段階に分かれるらしい。択捉、国後は、最近のロシアによる水産加工会社の事業が順調に進み、有視界飛行に頼っていた空路も、コンピューター管制と新しい滑走路が整備されてジェット機による空路が実現した。一方、北方領土より以北の北クリル諸島は、中古の船が行き来するだけで、これといった産業も育たず、かなり生活環境が粗末らしい。
現在のロシア連邦は、ご承知の通り領土がとてつもなく広く、世界各地で領土問題を抱えていた。ひとつ譲歩するとモグラ叩きのように国境の線引きが出現して、かれらはかれらなりに相当火種をかかえていた。が、プーチンのカリスマ性か、彼はパフォーマンスに精を出しつつも、着実に領土問題を解決していった。今現在、中国と接するアムール川(黒竜江)の両岸でつば競り合いを残すのみとなった。日露関係の平和条約締結の悲願も、日本の安全保障環境が飛躍的に向上するであろう。今後に期待したい。
日が変わって、朝は、3時起き。あまり眠れなかった。この日本最北端の稚内全日空ホテル、何もかも快適なのだが、ベッドのスプリングが効きすぎて落ち着かなかった。しかし、幸いにもコインランドリーがあり、朝から洗濯。お腹がすいていたので、コンビニに向かった。さすがに朝は肌寒い。上着を着てちょうどよかった。私の身分では北市場は、昨晩で満喫した。魚だったので、コンビニでは全国共通のチキンかつカレーを買い込む。おむすびありました。それはそうですよね。物流が発達していて、おそらく、札幌か旭川から運送してくるのだと思う。今日は天気もまずまず良さそう。暇なので宗谷バスが運行している市内観光バスでも乗ってみようかと思う。まだ朝早いので台風情報でも仕入れる。
ベッドがかわると決まって寝つきがよくない。あらかじめ仕入れておいた北海道産のインスタント塩カップメンで腹の足しにした。ここ稚内市街のコンビニは、フェリーターミナルからの交差点と駅構内の2軒。営業時間は、朝5時から深夜24時まで。米が育たない土地柄かおにぎりは置いてなかった。それ以外に歩いて数分のドラッグストアが19時まで開いている。コンビニ、ドラッグストアともにウオッカをはじめリキュールがずいぶんたくさん陳列してある。ロシア人が買い求めるのか。
駅前を過ぎて少し路地に入ると地元の商店街が軒を連ねている。なかに大きな食料品スーパーもある。どの店ともロシア文字の店の看板を出していて異国情緒を味わえる。
明後日、サハリンへ渡るが水産業のほかに今天然ガス開発ブームだ。ロシア人と日本人との融和はもちろんのこと、稚内経済もサハリンマネーで潤くことを期待しているのか、行政はサハリンとの交流を進めたい意向がネットの随所に記されいる。
海の向こう側、極東ロシアは、プーチン氏の肝いりで開発を推進したいらしい。前の2010年のAPECでもウラジオストクが会場となり、空港と街を結ぶアエロエキスプレスを開通させた。が、何せモスクワから9000km離れているので思うように開発が進まないらしい。
以前新聞で知ったが、サハリン、クリル諸島のインフラ整備の進み具合は3つのエリアに分かれるらしい。一番発展しているのが、サハリン。その次が南クリル諸島(いわゆる択捉、国後、歯舞、色丹、分割ラインを主張するロシアと、4島を日本の係争地とする北方領土)、そして北クリル諸島、この3段階に分かれるらしい。択捉、国後は、最近のロシアによる水産加工会社の事業が順調に進み、有視界飛行に頼っていた空路も、コンピューター管制と新しい滑走路が整備されてジェット機による空路が実現した。一方、北方領土より以北の北クリル諸島は、中古の船が行き来するだけで、これといった産業も育たず、かなり生活環境が粗末らしい。
現在のロシア連邦は、ご承知の通り領土がとてつもなく広く、世界各地で領土問題を抱えていた。ひとつ譲歩するとモグラ叩きのように国境の線引きが出現して、かれらはかれらなりに相当火種をかかえていた。が、プーチンのカリスマ性か、彼はパフォーマンスに精を出しつつも、着実に領土問題を解決していった。今現在、中国と接するアムール川(黒竜江)の両岸でつば競り合いを残すのみとなった。日露関係の平和条約締結の悲願も、日本の安全保障環境が飛躍的に向上するであろう。今後に期待したい。
日が変わって、朝は、3時起き。あまり眠れなかった。この日本最北端の稚内全日空ホテル、何もかも快適なのだが、ベッドのスプリングが効きすぎて落ち着かなかった。しかし、幸いにもコインランドリーがあり、朝から洗濯。お腹がすいていたので、コンビニに向かった。さすがに朝は肌寒い。上着を着てちょうどよかった。私の身分では北市場は、昨晩で満喫した。魚だったので、コンビニでは全国共通のチキンかつカレーを買い込む。おむすびありました。それはそうですよね。物流が発達していて、おそらく、札幌か旭川から運送してくるのだと思う。今日は天気もまずまず良さそう。暇なので宗谷バスが運行している市内観光バスでも乗ってみようかと思う。まだ朝早いので台風情報でも仕入れる。
稚内ーコルサコフ国際航路、船の旅
写真アップできませんが、SDカードがホテルのパソコンに入らないことと、USBコードを家に置き忘れたことによるものです。
北市場、かたじけない。美味かった。板前さん、かっこよかった。稚内、この店を予定に入れるだけで、飛ぶ価値あると思います。もし、いらっしゃる機会があれば、ご連絡いただき次第、粗品お送りさせていただきます。
台風の影響により、フライトを一日繰り上げて、稚内に飛んでまいりました。朝4時起きで羽田に向かい、若干の遅れはありましたが無事着きました。コルサコフ
(旧大泊:Корсаков)への船の乗船が、二日後なので、ホテルに荷物を置いて、
カメラとともに稚内市内を散策しました。
人口4万人の小さな街。飛行機から、アイヌたちが住処にしていたであろう原生林と、明治の入植が始まって以来からの牧草地が見えた。稚内空港では、サハリンビールのロシア人美女の写真がお出迎え。路線バスの停留所の傍らに季節外れの高山植物が植えられていた。路線バスは、宗谷海峡沿いに走り30分ほどでホテルに到着。途中、ロシア文字の入り混じる道路標識がかきま見えた。
街もロシア語の案内や店の看板があちらこちらに見受けられる。
コルサコフ(旧大泊:Корсаков)、大泊は、蟹漁船などがたくさん停泊していたことから、ロシア戦争後ポーツマス条約で、南樺太とクリル諸島が日本領に分割されて以来、敗戦までそのような名前がついていたのであろう。その水産業が今日も息づいている。今回の北市場の住所も「稚内市開運」、なんとも興味深い。
散策の途中、街の写真や利尻礼文航路、稚内コルサコフ(稚泊)航路の船などを撮りながら、街の表通りやロシア人ショップなどにロシア人も見受けられた。ロシア人が日本人と溶け込む文化は、今稚内に到着したばかりの印象ではなかなか難しそうだ。一方、稚内の人々は、いたって親切。ぼくの不用意にも、ズボンのベルトを買い求めて街を歩いたが、店の主人にもいろいろと親切にしていただいた。
終戦間際、ホルムスク(旧真岡:Холмск)の郵便局の電話交換台で、樺太から北海道へと引き揚げる日本人の電話を、迫り来る旧ソ連軍の砲撃の最中、電話をつなぎながら最後は青酸カリを飲んで自決して逝った9人の日本人の少女の犠牲を哀悼する記念碑が、この稚内市街の真上の稚内公園にある。しかし、ホテルのフロントで、歩いて山を登って30分から40分と聞き、断念した。北市場の主人にはみせる顔がない。腑に落ちないことをしてしまった。タクシーで登れれば行ってみたいのだが、ちょっとタクシーを利用するだけの金は今回の旅では持ち合わせていないのでまた別の機会とする。
夜も6時を過ぎると暗くなる。今日は、地元の人の話では暑いそうだ。23℃くらいだろうか。夜の冷え込みもない。冬支度で着たが、Tシャツ一枚でも動くと汗ばむ。明日どうするか迷うとこだが、サハリンの書類でも眼を通すことにしようと思う。今回の旅の目的は、サハリンへ渡ることだったが、フライトがこんな状況な中、稚内が到着地ということで気持ちが、機中半分以上楽だった。尚、空路は現在、ユジノサハリンスク(旧豊岡:Южно-Сахапинск)へ成田からは飛んでいない。札幌(新千歳)からサハリン航空が週3便、ソウル(仁川)からアシアナ航空に定期便がある。市街へのアクセスは、ユジノサハリンスク(ホムトヴォ:Хомутово)空港から63番バスに乗車すればよい。
市内を移動するのに便利な市街循環バスは、19番と20番。運賃は15RUB。バスといってもワゴン車。フロントガラスに大きく番号が貼付けてあるのでわかりやすい。一方バス停はいたって質素。運賃の支払いは、ユニークでなにせ狭いワゴン車の中。運転手は、荒いロシアの運転事情で必至になっているので、乗車したら最寄りの見知らぬ乗客に、金を順繰りに手渡しのリレーで運転手にわたす。釣りがあれば、また順繰りに返ってくる。循環バスは、渋滞事情にもよるが、ひとまわりして1時間くらい。街の様子を眺めたりするには安く上がる。
タクシーを利用する場合、旅行会社の説明では、ホテル、レストランなどで予約を入れて呼んだほうが安心。街でひろう場合、あらかじめ乗車する前に料金を交渉したほうがよい。車がよく洗車してあるほど、金回りがあるのだから、それを選んだほうがよい。汚かったり、車がへこんでいたり、白タクには要注意。もっとも駅や博物館、チェーホフ記念館(工事中)、などは歩こうと思えば歩けるので、荷物がなければ、ユジノサハリンスクの市内でタクシーに乗る必要はない。ただ疲れたときバスを利用できるのはありがたかった。旅行会社の話では、最近できた日本のイオンにひけをとらないショッピングモールまで、500RUBで交渉できることもあるという。帰りはショッピングセンターから市内まで無料のシャトルバスがある。
今回、諸事情の不手際により、ユジノサハリンスクの写真がアップできませんでしたが、ユジノの滞在中の追記として。
世界三大美女(フランス人、ロシア人、日本人)とも言われる、「夏だからこそ!」のロシア人女性の鑑賞は、諸兄諸氏の愉しみのひとつ。ただ寒さをしのぐには食べるしかないので、おばさんは、ちょっと・・・
食事、ユジノのレーニン大通りは、ホワイトカラーが行き来する表通りで、レストランはまったくなかった。路地を入った所に地図にはでているが、現在のユジノは、札幌の街を参考に建設されたと言われていて、碁盤の目のようになっているので、それほど道に迷う心配はない。ただ、夜出歩くときは、レーニン通りは、それほど危険を感じないので安心。レーニン通りの起点は、ユジノの駅とレーニン像で、暗くてもネオンの派手な広告のあかりではっきりわかる。ただ、3人組の警察(ポリーツイア)に出くわすとあまりいい思いはしない。ロシア正教会からは、レーニン通りの繁華街から離れる。明るいときに、よく確認しておかないとわかりづらい。で、食べ物だが、ぼくは、もっぱら駅前の24h営業のファーストフード「BUBO」で済ませた。いわゆるユジノ資本のファーストフードなのだが、カウンターにメニューはなく、カウンターの上を見上げて選ぶ。文字が読めればいろいろと注文できるが、ぼくはロシア語ができるわけでもなく、セットメニューを毎度注文した。いつも一番大きいビッグサイズで350RUBくらいだった。決して安くない。だが、出てくるバーガーとてつもなく巨大。それを平らげるともうその日は、それで十分。若い女性などにはおそらく食べきれない。セットNo1, No2, No3, No4とあるが順番にでかくなる。なおユジノでは珍しくBUBOは、WI-FI接続ができて、若い学生がノートパソコンで勉強していたり、小学生の女の子が iPad mini で遊んでいる姿まで見かけた。それと、決して安くはないのだが、ホテルのレストランで注文したパスタは550RUB。BUBOは量と安さでアピールしているが、このパスタ、やたらに、そこらへんにある日本のイタ飯屋よりはるかに美味だった。サイゼリアなんか論外!で、BUBOに戻るが、BUBOは、日本語で「コウモリ」に意味。なので24hファーストフードのネーミングにしたとも思える。で、マックのように、瞬く間に品物が出てくる訳ではなく、コウモリの絵が描かれた、丸い灰皿のような円盤が前払いのあとに渡されて、しばらく席に腰掛けて待つ。なかなか反応がないのだが、まだかな?と待ちつつ、ふとあれ?と思ったときにブザーのような音が鳴る。で、その円盤をカウンターに持っていくと、引き換えに巨大セットが手渡される。という仕組み。このまだかな?大丈夫かな?あれ?と思った後にロシア人の反応があることは、今回の自由行動つきのツアーに参加して、旅行会社からも説明を受けていて、確かにその通りだった。なので、なるべくモラルにのっとって行動をとると、ロシア人の反応もいたって良好。
ただ、もうひとつ。ぼくは、ロシア独特の黒パン、に以前はまったく興味がなかったのだが、ユジノの公園のフレンチ?・・・といってもフレンチだった!サハリンの森の中のフレンチ?・・・なんとも神秘的!先住民系のロシア人が経営していたが、そこで一回食事した。ランチコースでこれも550RUB。システムは普通で、これもいたって美味!公園で、それらしきものを発見したら是非おススメ!で、そのフレンチで黒パンが出てきたのだが、これがやみつき!フランスパンのあの固くてデカいのより、はるかに気にいった。ので、ネットで国内で唯一の黒パン専門のパン屋さんを発見!在日ロシア大使館、領事館などへの謹製で、秋田にあるのだが、全国へネット宅配注文OK! 店の名前は「サンドリオン」。一番特製の品を選んでさっそくいただきましたが、いかにも「絢爛たるロシア」という味でした。今度は、「素朴なロシア」を味わってみたい。www.sandoriyon.com なお、ユジノの飲食店にトイレはありません。
旅行時期だが、7月8月は、船が揺れたりすることは、悪天候に当たらないかぎりまずないと思う。むしろ鏡のような海の静けさを、堪能できるときもあるという話を聴いた。ただ、ユジノサハリンスクのホテルの周辺あるいは、ホテルの中のディスコ、レストランなどでは、サハリンの北の大地の娯楽の少ない、また貴重な夏でもある、郊外にダーチャ(小さな別荘。ソビエト崩壊後の混乱期、ソビエト時代の為替レートは、当時特殊な固定相場で1RUB→400JPYが大暴落して、ロシア人は、そこでジャガイモなどを耕しながら農作業をして飢えをしのいだ)がたたずむ小さな都会のユジノにかぎって、ロシア人は、日付の変わる夜中まで大ボリュームでカラオケで歌いまくったり、踊りまくったりするのが通例。なおかつ、ホテルにエアコンはなく、就寝時、窓を開けなければ暑いので、そのかれらの熱狂の音と蚊も入ってくるらしく、それを覚悟の上で。避けたければ、真夏の時期はずらしたほうがよいが、ぼくが旅行した9月下旬は、昼間は、シャツ一枚で過ごせたが、急に雨が降る可能性もあり、夜は寒くて、船の海上はもっと寒い。デッキに出なければ問題ないが、退屈。たいていの年配のかたやロシア人は、船が着くまで、船の窓から郷愁に浸っていたり、船室で仮眠をとりつづけていた。
など諸事情を勘案の上、旅行の計画を。今回、ぼくは、ユジノとコルサコフが目的で旅行したが、「ロシア」をまともに旅行するのならば、やはり、一般的にモスクワ、ペテルブルグ。来年(2014年)1月に、ぼくは、旅行の予定を立てていて、情報を仕入れているが、おそらくはるかにいわゆる「ヨーロッパ」というに相応しいのはご承知の通り。ロシア旅行計画は、くれぐれも慎重におススメします。
北市場、かたじけない。美味かった。板前さん、かっこよかった。稚内、この店を予定に入れるだけで、飛ぶ価値あると思います。もし、いらっしゃる機会があれば、ご連絡いただき次第、粗品お送りさせていただきます。
台風の影響により、フライトを一日繰り上げて、稚内に飛んでまいりました。朝4時起きで羽田に向かい、若干の遅れはありましたが無事着きました。コルサコフ
(旧大泊:Корсаков)への船の乗船が、二日後なので、ホテルに荷物を置いて、
カメラとともに稚内市内を散策しました。
人口4万人の小さな街。飛行機から、アイヌたちが住処にしていたであろう原生林と、明治の入植が始まって以来からの牧草地が見えた。稚内空港では、サハリンビールのロシア人美女の写真がお出迎え。路線バスの停留所の傍らに季節外れの高山植物が植えられていた。路線バスは、宗谷海峡沿いに走り30分ほどでホテルに到着。途中、ロシア文字の入り混じる道路標識がかきま見えた。
街もロシア語の案内や店の看板があちらこちらに見受けられる。
コルサコフ(旧大泊:Корсаков)、大泊は、蟹漁船などがたくさん停泊していたことから、ロシア戦争後ポーツマス条約で、南樺太とクリル諸島が日本領に分割されて以来、敗戦までそのような名前がついていたのであろう。その水産業が今日も息づいている。今回の北市場の住所も「稚内市開運」、なんとも興味深い。
散策の途中、街の写真や利尻礼文航路、稚内コルサコフ(稚泊)航路の船などを撮りながら、街の表通りやロシア人ショップなどにロシア人も見受けられた。ロシア人が日本人と溶け込む文化は、今稚内に到着したばかりの印象ではなかなか難しそうだ。一方、稚内の人々は、いたって親切。ぼくの不用意にも、ズボンのベルトを買い求めて街を歩いたが、店の主人にもいろいろと親切にしていただいた。
終戦間際、ホルムスク(旧真岡:Холмск)の郵便局の電話交換台で、樺太から北海道へと引き揚げる日本人の電話を、迫り来る旧ソ連軍の砲撃の最中、電話をつなぎながら最後は青酸カリを飲んで自決して逝った9人の日本人の少女の犠牲を哀悼する記念碑が、この稚内市街の真上の稚内公園にある。しかし、ホテルのフロントで、歩いて山を登って30分から40分と聞き、断念した。北市場の主人にはみせる顔がない。腑に落ちないことをしてしまった。タクシーで登れれば行ってみたいのだが、ちょっとタクシーを利用するだけの金は今回の旅では持ち合わせていないのでまた別の機会とする。
夜も6時を過ぎると暗くなる。今日は、地元の人の話では暑いそうだ。23℃くらいだろうか。夜の冷え込みもない。冬支度で着たが、Tシャツ一枚でも動くと汗ばむ。明日どうするか迷うとこだが、サハリンの書類でも眼を通すことにしようと思う。今回の旅の目的は、サハリンへ渡ることだったが、フライトがこんな状況な中、稚内が到着地ということで気持ちが、機中半分以上楽だった。尚、空路は現在、ユジノサハリンスク(旧豊岡:Южно-Сахапинск)へ成田からは飛んでいない。札幌(新千歳)からサハリン航空が週3便、ソウル(仁川)からアシアナ航空に定期便がある。市街へのアクセスは、ユジノサハリンスク(ホムトヴォ:Хомутово)空港から63番バスに乗車すればよい。
市内を移動するのに便利な市街循環バスは、19番と20番。運賃は15RUB。バスといってもワゴン車。フロントガラスに大きく番号が貼付けてあるのでわかりやすい。一方バス停はいたって質素。運賃の支払いは、ユニークでなにせ狭いワゴン車の中。運転手は、荒いロシアの運転事情で必至になっているので、乗車したら最寄りの見知らぬ乗客に、金を順繰りに手渡しのリレーで運転手にわたす。釣りがあれば、また順繰りに返ってくる。循環バスは、渋滞事情にもよるが、ひとまわりして1時間くらい。街の様子を眺めたりするには安く上がる。
タクシーを利用する場合、旅行会社の説明では、ホテル、レストランなどで予約を入れて呼んだほうが安心。街でひろう場合、あらかじめ乗車する前に料金を交渉したほうがよい。車がよく洗車してあるほど、金回りがあるのだから、それを選んだほうがよい。汚かったり、車がへこんでいたり、白タクには要注意。もっとも駅や博物館、チェーホフ記念館(工事中)、などは歩こうと思えば歩けるので、荷物がなければ、ユジノサハリンスクの市内でタクシーに乗る必要はない。ただ疲れたときバスを利用できるのはありがたかった。旅行会社の話では、最近できた日本のイオンにひけをとらないショッピングモールまで、500RUBで交渉できることもあるという。帰りはショッピングセンターから市内まで無料のシャトルバスがある。
今回、諸事情の不手際により、ユジノサハリンスクの写真がアップできませんでしたが、ユジノの滞在中の追記として。
世界三大美女(フランス人、ロシア人、日本人)とも言われる、「夏だからこそ!」のロシア人女性の鑑賞は、諸兄諸氏の愉しみのひとつ。ただ寒さをしのぐには食べるしかないので、おばさんは、ちょっと・・・
食事、ユジノのレーニン大通りは、ホワイトカラーが行き来する表通りで、レストランはまったくなかった。路地を入った所に地図にはでているが、現在のユジノは、札幌の街を参考に建設されたと言われていて、碁盤の目のようになっているので、それほど道に迷う心配はない。ただ、夜出歩くときは、レーニン通りは、それほど危険を感じないので安心。レーニン通りの起点は、ユジノの駅とレーニン像で、暗くてもネオンの派手な広告のあかりではっきりわかる。ただ、3人組の警察(ポリーツイア)に出くわすとあまりいい思いはしない。ロシア正教会からは、レーニン通りの繁華街から離れる。明るいときに、よく確認しておかないとわかりづらい。で、食べ物だが、ぼくは、もっぱら駅前の24h営業のファーストフード「BUBO」で済ませた。いわゆるユジノ資本のファーストフードなのだが、カウンターにメニューはなく、カウンターの上を見上げて選ぶ。文字が読めればいろいろと注文できるが、ぼくはロシア語ができるわけでもなく、セットメニューを毎度注文した。いつも一番大きいビッグサイズで350RUBくらいだった。決して安くない。だが、出てくるバーガーとてつもなく巨大。それを平らげるともうその日は、それで十分。若い女性などにはおそらく食べきれない。セットNo1, No2, No3, No4とあるが順番にでかくなる。なおユジノでは珍しくBUBOは、WI-FI接続ができて、若い学生がノートパソコンで勉強していたり、小学生の女の子が iPad mini で遊んでいる姿まで見かけた。それと、決して安くはないのだが、ホテルのレストランで注文したパスタは550RUB。BUBOは量と安さでアピールしているが、このパスタ、やたらに、そこらへんにある日本のイタ飯屋よりはるかに美味だった。サイゼリアなんか論外!で、BUBOに戻るが、BUBOは、日本語で「コウモリ」に意味。なので24hファーストフードのネーミングにしたとも思える。で、マックのように、瞬く間に品物が出てくる訳ではなく、コウモリの絵が描かれた、丸い灰皿のような円盤が前払いのあとに渡されて、しばらく席に腰掛けて待つ。なかなか反応がないのだが、まだかな?と待ちつつ、ふとあれ?と思ったときにブザーのような音が鳴る。で、その円盤をカウンターに持っていくと、引き換えに巨大セットが手渡される。という仕組み。このまだかな?大丈夫かな?あれ?と思った後にロシア人の反応があることは、今回の自由行動つきのツアーに参加して、旅行会社からも説明を受けていて、確かにその通りだった。なので、なるべくモラルにのっとって行動をとると、ロシア人の反応もいたって良好。
ただ、もうひとつ。ぼくは、ロシア独特の黒パン、に以前はまったく興味がなかったのだが、ユジノの公園のフレンチ?・・・といってもフレンチだった!サハリンの森の中のフレンチ?・・・なんとも神秘的!先住民系のロシア人が経営していたが、そこで一回食事した。ランチコースでこれも550RUB。システムは普通で、これもいたって美味!公園で、それらしきものを発見したら是非おススメ!で、そのフレンチで黒パンが出てきたのだが、これがやみつき!フランスパンのあの固くてデカいのより、はるかに気にいった。ので、ネットで国内で唯一の黒パン専門のパン屋さんを発見!在日ロシア大使館、領事館などへの謹製で、秋田にあるのだが、全国へネット宅配注文OK! 店の名前は「サンドリオン」。一番特製の品を選んでさっそくいただきましたが、いかにも「絢爛たるロシア」という味でした。今度は、「素朴なロシア」を味わってみたい。www.sandoriyon.com なお、ユジノの飲食店にトイレはありません。
旅行時期だが、7月8月は、船が揺れたりすることは、悪天候に当たらないかぎりまずないと思う。むしろ鏡のような海の静けさを、堪能できるときもあるという話を聴いた。ただ、ユジノサハリンスクのホテルの周辺あるいは、ホテルの中のディスコ、レストランなどでは、サハリンの北の大地の娯楽の少ない、また貴重な夏でもある、郊外にダーチャ(小さな別荘。ソビエト崩壊後の混乱期、ソビエト時代の為替レートは、当時特殊な固定相場で1RUB→400JPYが大暴落して、ロシア人は、そこでジャガイモなどを耕しながら農作業をして飢えをしのいだ)がたたずむ小さな都会のユジノにかぎって、ロシア人は、日付の変わる夜中まで大ボリュームでカラオケで歌いまくったり、踊りまくったりするのが通例。なおかつ、ホテルにエアコンはなく、就寝時、窓を開けなければ暑いので、そのかれらの熱狂の音と蚊も入ってくるらしく、それを覚悟の上で。避けたければ、真夏の時期はずらしたほうがよいが、ぼくが旅行した9月下旬は、昼間は、シャツ一枚で過ごせたが、急に雨が降る可能性もあり、夜は寒くて、船の海上はもっと寒い。デッキに出なければ問題ないが、退屈。たいていの年配のかたやロシア人は、船が着くまで、船の窓から郷愁に浸っていたり、船室で仮眠をとりつづけていた。
など諸事情を勘案の上、旅行の計画を。今回、ぼくは、ユジノとコルサコフが目的で旅行したが、「ロシア」をまともに旅行するのならば、やはり、一般的にモスクワ、ペテルブルグ。来年(2014年)1月に、ぼくは、旅行の予定を立てていて、情報を仕入れているが、おそらくはるかにいわゆる「ヨーロッパ」というに相応しいのはご承知の通り。ロシア旅行計画は、くれぐれも慎重におススメします。
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